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50代でサラリーマンを辞めてみる

サラリーマン以外に職業があることにやっと気がついたオヤジのブログ

介護

時節柄、喪中のお知らせをもらって、

介護のことを思い出した。

 

不謹慎なことかもしれないが、

収入が極端に減るのが目に見えているのに、

いきなり29年勤めた会社を辞めることができたのも、

親のことを心配しなくていいからだ。

母親は自分が30歳の時に、父親は4年前に他界している。

 

母の時は、自分も若くて、

末期ガンで入院期間も短かったので、介護という意識はなかった。

父親は、80歳で一人ぐらしをしていて、

ささいな火傷で救急病院で皮膚移植の手術をしたのだが、

その入院中になぜか、寝たきりになってしまった。

 

そこからが、大変だった。

夜中に病院から電話があって、駆け付けると

一時的に心肺停止状態になったので、人工呼吸器をとりつけるかどうか

今、判断してほしいとのことだった。

たぶんこの時に寿命だったのだと思うが、

若干パニックでわけもわからず同意。

 

その後も意識の戻らない状態が続き、

点滴にも限界があるので、胃瘻(いろう)の処置をしていいか

判断を求めらて、これも知識不足で同意。

 

そうこうしているうちに、

意識がもどらず寝たきりのまま、2か月たち、

救急病院からは、別の施設を探して欲しいとの要請が。。

 

たまたま市内に、最期まで看取ってくれる病院があり、

連絡すると、ベットがいっぱいで10人待ち!!

入院していたもとの病院に、この市内の病院が空くまで預かってもらえるように

手配して、そこから3か月ぐらいでベットの空きの連絡があり、転院した。

 

転院して市内の病院から請求書がきて、

またびっくり。

こりゃー、自分の老後の設計も含めてすべて計画をやり直さないと。。

65歳まで今の会社で働き続けることができるか会社の制度の確認までした。

介護認定、介護保険の仕組み、成年後見人制度、

必死に知識をつめこんだ。

 

・・・

 

その市内の病院にお見舞いに行ったときに、

他の病室にも似たような症状の高齢の患者さんがたくさんいらっしゃった。

みなさん、

自分で息ができなくて

自分で歩けなくて

自分で食事がとれなくて

、、

はたしてこれを「生きてる」というのだろうか?

 

自分の知識不足を呪った。

最初の人工呼吸器の時点で拒否すべきだったかも。

そこからの約1年間は父親の本意の一年間だったのか?

はなはだ疑問だ。

 

さらに、この容体での胃瘻(いろう)も、余計だった。

医療関係者の皆さんに問いたいが、

延命のための胃瘻(いろう)は正しい処置なのだろうか??

医師は容体がもとになればまた口から食事がとれるように戻せる、

と説明してくれたが、かなり可能性の低い状況だったと思う。

 

この出来事は、

自分自身の人生に対する考え方に大きな影響をおよぼした。

自分の意志で

自分の足で好きな場所にいけて、

自分の口から食事がとれる幸せを実感した。 

と同時に、

介護ってとんでもなく大変なことだ!!どうしよう・・・

と途方にくれた。 

 

そりゃー、

両親がいつまでも健康で楽しい生活を営んでもらえるに

越したことはない。

 

が、

限りある命、最期をどうするかもっと真剣に考えたい。

残された家族の人生をも左右しかねない。

実家の近所に、10年間寝たきり生活の母親(たぶん90代)を

70代のご夫婦が面倒みているご家庭がある。

そこの70代のおばちゃんが、うちの父親の葬儀の時に、

「確かにお父さんなくなって悲しいけど、

 あんたとこは、1年の寝たきりでよかったんじゃないの。。」

この一言には返す言葉がなかった。

 

介護問題、決定版の答えがでそうにない。

自分としては、やはり不謹慎だが、

身軽になった今の状態を利用して、

進路の自由を選択させてもらえたことを、

両親に感謝するしかないと思っている。

 

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